カテゴリー: 会長・寄稿文

退任のご挨拶

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会長としての2年間、皆様にはご協力ご助言をいただきまして、誠にありがとうございました。大過なく過ごせましたのも皆様の絶大なるご支援の賜物と深く感謝申しあげます。
2年間を通じて、本当に好きなことをやらせていただきました。

奥入瀬・八甲田、箱根・熱海、旭川・富良野・洞爺湖、高山・松本など私の行きたいところ、泊まりたい宿を選定し皆様にお付き合いいただきました。

木洩れ日の奥入瀬渓流、安比の紅葉、山のホテルの富士とつつじ、ヴィラデルソルの女将との語らい、心やすらぐフラノ寶亭留、洞爺湖の花火、高山祭のからくり人形、雪の扉温泉など、何れもめ瞼に焼きつくほどの印象深い経験をさせていただきました。

「歴史、自然、文化、芸術」を探求するとテーマを掲げましたので、春秋の研修会以外にも女性ソムリエのお話を伺ったり、日本酒との相性をオードブルを味わいながら酒サムライに語っていただいた新春懇談会。総会では観光文化の重要性や伝統ホテルのおもてなしの心をレクチャーしていただきました。

倉青協の総会にも乱入して、山梨ワインのお土産をもらったり、卒業生勧誘のために手製の「倉守神社」のお守りを配ったりしたのは楽しい思い出です。

しかし私だけの力で2年間大役をまっとうできたのではありません。煩雑な旅行をそつなくこなし、私の面倒な注文もいれてスマートにホームページを作成し、会員の皆様に愛された田中事務局のお陰と改めて感謝する次第です。

本心から楽しませていただきました。ありがとうございました。   大竹広明

小京都飛騨高山と春爛漫の信州を巡る旅②

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飛騨大鍾乳洞
旅の行程ユニット2から参加されるお客様をお迎えし、またユニット1でお帰りになるお客様を高山駅までお送りし、次の目的地飛騨大鍾乳洞へ向かいます。

日本の鍾乳洞では最も高いところに位置する飛騨大鍾乳洞。
オーナーのコレクション、金塊が盗まれ、その後取り戻すことが出来て、「戻ってきた金塊」としても有名。
盗まれたときは一辺20センチほどの立方体だったものが、戻ったのは切り刻まれた7割程度。
でも私にはチリヂリに切り裂かれた金の方が美しく見えたものでした。

さて本題の鍾乳洞。
全長850メートルにわたり、鍾乳石、石筍、石柱が林立、それぞれに名前がつけられています。
洞内は暗く登りが急なので、途中から外界に出ることが出来る。最後まで到達し、外を階段で戻ると今更ながら登った高低差に驚きました。
鍾乳洞

このあとは今晩のお宿、扉温泉までまっしぐら。
3時間のバスは退屈で寝てしまうかとの思いは、全く裏切られることになりました。

バスガイド
その犯人は、そうです、ガイドの薙野さんです。
名所旧跡の説明はさておき、もっぱら車内のお客さんとの対話集会。

「お客さんが寝ないからしゃべらざるを得ない」

「ガイドが面白いから寝る暇もない」

まるで鳥と卵のようですが、とにかく車内は笑い通し。

添乗員の加山さんはお腹をよじって涙を流して、それは苦しそうに笑っていました。
バスが松本に近づくと段々桜が増えてきて、松本城のお堀は見事な満開。『春爛漫の信州』と銘打ったこの旅行も、やっと格好付けることができました。

明神館
扉温泉は美ヶ原と霧が峰の稜線に抱かれたひなびた温泉。
ここにデザイン、もてなし、料理3拍子揃った知る人ぞ知る、明神館があります。

しかしそこまでの道筋が大変、対向車が来たらすれ違えない幅員の山道を進み、市内から40分かかって到着します。
バスの中で部屋番号を知らされ、雪が降り出した中、玄関から各部屋に向かい旅装を解きました。

夕食までしばらく時間があるので、評判の高い温泉に浸かります。
いくつかある大浴場の中でも何と言っても「立ち湯」が圧巻。
立ち湯

風呂場が弁当箱の一辺をすっぱり切り取ったような形になっていて、脱衣所から浴場に一歩足を踏み入れると、真正面に長方形の雪景色が額縁で切り取ったように目に飛び込んでくる。
中央には外に向かって浴槽があり先端は底が深く立ち湯になっている。浴槽の縁に腕を乗せて外の景色を眺めると冷気が頭にまとわり、雪の中に放り出されたような錯覚を覚える。
この浴場には浴槽以外無駄なものは一切ない、蛇口も洗い場もない。
手前に申し訳程度にシャワーブースとミストサウナがあるのみ。白樺と渓流の織り成す光景は、一度見たら忘れられない印象となって、目に焼きつく。他に大浴場、露天風呂、寝湯などあるが、立ち湯の圧倒的な魅力にはどれもかなわない。

夕食は大広間で会席。旅行最後の夜とあって、皆さん盛り上がり、会話とお酒と料理を賑やかに堪能しました。
団体料理でも手を抜かず、一皿づつ凝った料理が出てくるのは朝も同じ。またフランス料理も定評があり、次の機会には是非洋食を試してみたいもの。
明神館 夕食会場明神館 大木

翌朝起きると外は銀世界、屋根には20センチほどの雪が積もり、まだコンコンと降り続いている。頭をよぎったのはあの山道、果たして脱出できるか。しかし朝食時の加山添乗員さんとフロントの方の説明で、心配は杞憂に終わりました。
明神館 談話室
それでもあの狭い雪道を、無事に通り過ぎた吉田運転手さんの技量には脱帽。広い道に出たときには車内に拍手が響きわたりました。

松本市内
松本市内では時計博物館を見学。
舶来品、国産の古時計のコレクション、しかもすべて現役。定時には鳩や鐘が一斉に時を報せます。美しい細工の、エレガントな動きに心安らぐ思いがしました。

そのあとは中町や松本城などを思い思いに見学し、信州名物のそばや「こばやし」へ。
そばがき、そばの実などそば尽くしの定食でお腹がふくれ、松本駅で解散となりました。

フィニッシュ
どうせ混雑で、満足に見れないだろうとの高山祭りも、存分に楽しめました。
飛騨の小京都に、世界に誇れるガラスコレクションがあることを発見しました。思いもかけない雪景色に、息を呑むほど端正な風呂場も体験しました。雪と桜を同時に楽しむ松本城も、またとない経験でした。
さまざまな貴重な思い出を残してくれた「小京都飛騨高山と春爛漫の信州を巡る旅」もお陰さまでトラブルもなく無事終了することができました。
これもご参加いただいた皆様のご協力の賜物です。誠にありがとうございました。

小京都飛騨高山と春爛漫の信州を巡る旅①

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スタート
名古屋駅を定刻に出発したバスは、東海北陸道を快適に飛騨高山を目指す。
山あいの交通不便な盆地に独特な文化が生まれ育った高山。東海北陸道の開通で観光客には飛躍的にアクセスが向上した。
2泊3日の旅は予報によると14年ぶりの寒気とか。途中トイレ休憩した、ひるが野サービスエリアでは小雪が舞うほど。前日は高山では雪が積もったらしい。

萬代角店
天候は不順なれども、道路は順調。懸念された高山祭の渋滞もなく、12時前には高山市街に到着。
萬代角店での昼食となりました。お店で落ち合った旧知の向井さんからは清酒、濁り酒、梅酒の差し入れがあり、飛騨牛の朴葉味噌焼きを肴に大宴会。

早くも一行は和気藹々の雰囲気となりました。
実はメニューの朴葉味噌定食よりも3割ほど飛騨牛を増量していただいた特注品。戸
外での屋台見物に備え、お酒とお肉で身体を心から温める効用は充分でした。
萬代角店

からくり奉納
お店から10分ほど歩いた陣屋前で、屋台のからくり奉納が始まります。よい場所を確保するために20分ほど前に到着、奉納の始まりを待ちます。
運良く雪もなく、見物に良い場所を確保。
定刻の2時前にはからくりの実演が始まりました。

まず左端の三番叟(さんばそう)屋台から。
謡いと屋台上の子供の太鼓、鼓にあわせ可愛い童人形が樋を進み、先端の箱に顔を近づけると一瞬にして顔が翁に変身。
からくり三番叟からくり三番叟

次は真ん中の石橋台(しゃっきょうだい)屋台。
長唄にあわせ美女が踊るうちに打ちかけがめくれて獅子頭に変身。激しく舞い踊るというもの。あまりの妖艶さに一時は、からくり実演を控えていたとの説明もありました。
からくり石橋台からくり石橋台

最後は右端の龍神台(りゅうじんだい)。
童子が曲に合わせて壺に近づいたところで、さて先が続かない。
屋台の中から黒子のおじさんが出てきて長い棹で引っかかった紐をほどく。それでもうまく動かない。おじさんが二人に増えてあちらこちら直すも進まない。
観客からは「どうした」「寒いよ」と帰る人もチラホラ。しかし観客の集中力が途切れた頃、いきなり壺が割れて紙吹雪から龍神が出現、腕も頭も千切れるほどの勢いで乱舞しました。
からくり龍神台からくり龍神台

これらのからくりは屋台の中に隠れた技術者が、何十本もの紐を操って人形の繊細な動きを表現するもの。
寒い中、我慢して見るだけの価値がある、まさに高山の伝統美でした。

三町
からくり奉納のあとは赤い欄干でおなじみの中橋を渡り三町へ。
三町のひとつ一之町通りには8台もの屋台が曳き揃え、威容を誇っています。
普段は屋台蔵に格納され、一部は順番に屋台会館で見ることが出来るが、高山祭の期間はすべてが間近で見られます。
精巧な彫り物、きらびやかな装飾。
この地で育った重要有形民族文化財、伝統文化の真髄を堪能することが出来ました。
一行は三之町通りのお店を冷やかしたり、お目当ての土産品をゲットして自由時間をゆっくり楽しみました。
屋台
屋台

ホテルアソシア高山リゾート
今日の泊りは市街から少し離れたホテルアソシア高山リゾート。
高山市内には温泉がなかったものが、このホテルが掘りあて、人気の宿泊施設になっています。
高台に建てられたホテルの全室から北アルプスが眺められるのですが、生憎の曇り空、景色より温泉と料理を楽しむことにしました。
部屋も花柄のベッドカバーが印象的な、可愛らしく清潔なしつらえ。
展望大浴場で冷えた身体を温めて、フランス料理のコースに舌鼓を打ちました。展望大浴場でもロビーでも外国人客が目立つ立派なホテルでした。

朝起きると、窓の外になんと雪が舞っているではないですか。でもせっかくの高山、朝食を済ませて朝市に行くことにしました。
ホテルのシャトルバスで高山駅まで、そこから15分ほど歩くと、陣屋前の朝市会場に着くことができます。白いテントを4列に張り30軒ほどの簡易店舗が並んでいます。
高原野菜、味噌、漬物、それにサルボボや一刀彫の民芸品。どれも郷土の香り高い品物ぞろいでした。宮川沿いにも朝市が開かれ、こちらは寒さのせいか、店舗がまばらでした。

飛騨高山美術館
一行は本日午前中の見学場所、飛騨高山美術館に向かいます。と言ってもバスに乗ったら約5分で到着。美術館前には黒スーツの颯爽とした学芸員お二人と、向井専務さんがお出迎え。
飛騨高山美術館は、高山・下呂で手広く事業を営んでいる向井兄弟が、利益を社会に還元する目的で14年前に開館したもの。アールヌーヴォー様式のガラス工芸を中心にコレクション。
1000点もの逸品が納められ、年3回展示替えをするとのこと。すっきりとした外観が美しい建物とともに、ミシュランの三ッ星を連続して獲得している、世界に誇る美術館です。

まずは学芸員の案内で噴水ホールへ。
パリのシャンゼリゼに作った、高さ3メートルのガラスの噴水を囲んで美術館の説明を受けました。
噴水はルネ・ラリックの作品、他にもエミール・ガレや藤田喬平などの香水瓶、花瓶、レリーフ、照明スタンドなど見事な作品を学芸員の詳しい説明で鑑賞しました。

別棟の展示室には、ガレの部屋、マッキントッシュの部屋など、アールヌーヴォーの家具を陳列した部屋を再現。一同はため息混じりに食い入るように眺めました。

暖かい日ならば庭に出て、北アルプスの景観を望みながら昼食の予定でしたが、あいにくの寒空で、レストランで飛騨牛のビーフカレーをいただきました。そこに向井館長が登場、遠路はるばる訪れた一行をやさしく歓待していただきました。
食事が終りミュージアムショップでの買い物も過ぎたころ、雲が晴れて北アルプスが見えてきました。
そこで庭に出て集合写真。よい記念になります。
美術館
美術館美術館


向井館長さん、お忙しいところお顔を出していただきましてありがとうございました。向井専務さん、2日間にわたり、親身になってご案内いただきましてありがとうございました。

年賀状作成裏話2010

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明けましておめでとうございます。
今年は私が会長を拝命してから最後の年となります。任期中は精一杯会務に励みますので、会員の皆様のご支援をよろしくお願い申し上げます。

さて、田中事務局から促されました年賀状作成裏話。

会社年賀状↓
2010年年賀状

例年通り、若手社員(なぜか私も入って)が集まって年賀状のコンセプト作りから始めます。
昨年キャッチコピーとして、一番人気だった「地球に誇れる会社でありたい」に隠れてしまった「ピースアイランド、おらに元気を与えてくれ」がどうにも捨てがたく次年度の採用を決定しておりました。

ピースアイランドとは昨年竣工した平和島倉庫を英訳したもの。
屋上には太陽光パネルを設置したので「○ラゴン○ール」のノリでこんなコピーとなりました。

その後、議論を重ねキャッチコピーも微修正。
図柄もポップ調に「ぴーすあいらんどくん」まで登場させました。

社員が楽しんで年賀状作りにかかわったことが、年賀状からもお伝えできるのではないかと思います。
実はこれら社員の中で「○ラゴン○ール」を知らなかったのは、私一人だけでした。

個人の年賀状
2010年年賀状

こちらは相も変わらず夫婦の似顔絵です。結婚した年からこのシリーズを続けていますが、最初は2人、やがて家族が増えて3人となり4人の似顔絵を並べていました。
このままでは、家族が増えると似顔絵も際限なく増えてしまうので、娘の結婚を機に2人に戻しました。

そのまま続けていたら、子供夫婦、孫までも含め10人描かなければならなかったので、今ではホッとしております。

秋深まる北海道を巡る旅②

投稿日 :

支笏湖
 バスは桂沢湖を木の間ごしに眺め高速道路に入る。大都市札幌のビル群や手稲山、札幌ドームが次々と車窓を流れる。
 一行は予定通りに新千歳空港に到着。ここでユニット1の参加者とはお別れ、ユニット2のお客様を新たに迎え入れ、支笏湖までひとっ走り。北海道の道は信号もなく、渋滞もなくすいすい気持ちよく走れる。長時間のドライブでも疲れもなく支笏湖畔に到着。

 お昼は「鶴雅リゾートスパ水の謌(うた)」。湖をバックにした樹幹にたたずむホテル併設の瀟洒な食事処で、結構な味のお昼を楽しむことができました。食事後支笏湖畔までおりて記念撮影。ここも紅葉がまっさかり、穏やかな湖面と対岸の山々にしばし見とれました。

有珠山
 ロープウェイからの昭和新山↓
昭和新山
 再びバスに乗り次の目的地、洞爺湖へ。当初予定の時間設定がややタイトだったためか、有珠山の到着までゆとりがない。そこでバスのドライバー古谷さんが頑張って安全運転ながら猛スピードで何とか予定時刻に滑り込み。ここからはツアコンの斎藤さんの腕の見せ所。15分刻みで出発するロープウェイの合間を縫って、臨時便を出させることに成功。かくて一行13名の貸切便となりました。  

 高度をグングン上げるロープウェイとは反対に、白煙を噴出する昭和新山が見る見る下方に。6分間の空中散歩を終えて、有珠山山頂に立ちました。とはいっても2000年の噴火で山塊が盛り上がり山頂が移動したため、洞爺湖の眺望も半減することになりました。ここでまた記念撮影。眼下の昭和新山をバックにとらえるため、カメラを携えた田中事務局は木製のやぐらの上に立ち、ハイ・チーズ。撮影が終わったとたん今度はおじさん会員が田中事務局をカメラに収めようと逆撮影。田中事務局はやぐらの上で、ハイ・ポーズ。

 ホテルウインザーには明るいうちに到着したいので、次のロープウェイで下山。洞爺湖を廻り外輪山の上にそびえたつホテルには、定刻ピタリの到着となりました。

ザ・ホテルウインザー洞爺リゾートアンドスパ
ウィンザー洞爺から見た中島
ウィンザー洞爺ウィンザー洞爺


 バブル華やかしころ、北海道拓殖銀行の肝いりで建設された会員制ホテル・エイペックス。バブル崩壊のあおりを受けて会員が集まらず倒産。しばし廃墟となっていましたが、セコムの飯田社長がスポンサーとなり、伝説のホテル名経営者窪山哲雄氏が再建。この城塞のような巨大で豪華な施設をよみがえらせ、昨年は世界サミットの会場にもなったのは記憶に新しい。

 洞爺湖外輪山ポロモイ山の山頂に建つ巨大ホテルは遠く中山峠からも見えるという。つづら折の道路を上がると、ポッカリと口を開けたエントランスにバスごと侵入。積雪時でも安全に乗り降りできる配慮だろう。ロビーに入ると左手に洞爺湖、右手に噴火湾の雄大な景色が巨大なガラス窓を通して遠望できる。ホテルスタッフから簡単な説明を受けたあと客室へ。今回は噴火湾側のスタンダードツインであったが、一度は洞爺湖側のスイートに泊ってみたいものだ。

 温泉大浴場、プール、エステルームも完備、部屋からはバスローブで行き来できる。あまりの巨大施設のため、一泊ではホテルの全貌を把握するのは不可能。これだけの施設をよくも作ったものだと感嘆すると共に、バブルに酔いしれた日本人の熱狂ぶりを再認識した次第。

 夕食は地下1階のウインザーホール。サミットでは全体会議が開かれたバンケットホールを4つに区切り、そのうちのひとつが今夜の夕食会場。扉を開けるとアッと驚くほどの広さ、天井の高さ。真ん中に置かれた13名の大型テーブルが、こじんまりと見えたほどでした。

 夕食後は洞爺湖畔で毎晩上がる花火、とはいっても遠過ぎてまるで線香花火のよう。おまけに音も聞こえないので、ささやかな余興ではありました。
 翌日もよい天気。出発までの時間、買い物をしたり、世界の首脳が記念撮影をするために作られた湖を見下ろすサミットテラスまで散策を楽しみました。

白老
アイヌ伝統舞踊しゃけ


今日は旅行の最終日。白老のアイヌ民族博物館を訪ねます。

 北海道の先住民アイヌ民族は川、湖、海のそばに生活の拠点をもっていました。ここ白老もポロト湖のほとりで集落を形成、さまざまな伝統工芸を承継してきました。今回の旅ではそんな工芸品の中から、大小色とりどりの玉を紐に通したケータイストラップ「タマサイ」作りに挑戦。アイヌの末裔「りゅうさん」の温かくやさしい指導で、皆さん好みのストラップを作り上げました。

 民族博物館では25分間にわたり、ムックリやトンコリ(竪琴)、歌、舞踊の実演や解説を楽しんで、生活様式を再現した家屋や資料館を見学しました。

 お昼は最近、急に人気が増した白老牛の焼肉。バスから降り立ったところは、寂れたようなお店。若い店主がお出迎えし案内されたのは、大きな大きなビニールハウス。この中に100人以上収容し焼肉が食べられるのでした。テーブルには既にコンロがセットされ、一人前ずつのステーキが野菜と共に盛られています。厚さ2センチほどのモモ肉は筋もなく柔らかく、私たち若者には(?)最高の食事でしょう。

エピローグ
 今回の旅行は新千歳空港が最終目的地。空港内の数え切れない売店で、それぞれお好みの北海道名物を買いそろえ、皆さん家路につきました。
 当初心配していた雨にもあわず、予定時刻どおりに進行した旅。皆さんご堪能いただけたでしょうか。ご参加いただきまして誠にありがとうございました。

秋深まる北海道を巡る旅①

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プロローグ
 旅行の印象は天候に左右される。2泊3日ともなれば、一週間前の週間予報がどうしても気になる。晴れ予報ならばズバリ当たりますように、もし雨予報ならばまだまだ変わる可能性がある、と自分に都合のよい方に解釈してしまう。
 今回の北海道も予報は曇りがち、傘マークも見え隠れという、諸手をあげての予報では決してなかった。

旭山動物園
旭山動物園
 旭川空港で集合、ひんやりとした空気が北の国の凛とした装いを伝える。一行はマイクロバスで最初の目的地、旭山動物園に向かう。いったんは廃園を覚悟した動物園が、園長と飼育係が智恵をしぼり「見せる動物園」に施設を一新。動物の生態が間近に見える、と評判が評判を呼び、全国でもトップクラスの集客を誇る動物園になった。 

 見学の前に東門に併設されたレストラン、モグモグテラスで腹ごしらえ。カフェテラス形式で、出来上がった単品を指名してお皿を満たしていく。正直、味は期待していなかったが、案外の美味。やっぱり北海道はおいしいのだ。

 門を通りすぎると、動物のモグモグタイムの表示板。動物は食べるときが動きが大きく、これが見どころ。時間を確認してからそれぞれが好みの檻に向かう。
 オランウータンの子供連れ空中綱渡り。白熊の餌付け。手が届くまでに近づくレッサーパンダ・・・。中でも圧巻だったのはゴマフアザラシの遊泳。水槽内観覧室に透明筒があり、下から上に急スピードで上昇。入れ代わり立ち代わり繰り返し泳ぐ姿は何度見ても飽きない。
 ペンギン館には水族館のようなガラスのトンネルがあり、頭上を泳ぐペンギンを見ることができる。白熊、狼園には生態が観察できるように、檻の中を頭だけ出して猛獣と同じ目線で見られるよう、ガラスの半球があって、列をなして人間が見物。動物からは次々に人の顔が代わって、さながら狼や白熊に人が眺められている感じではありました。人気のペンギンの園内行進は冬季限定とのことで、次の楽しみに持ち越しとなりました。

フラノ寶亭留
フラノ寶亭留景色
フラノ寶亭留様子フラノ寶亭留様子


 2時間弱の見学も終り、今日の宿泊地富良野に向かう。途中ガイドの長谷川さんの機転で美瑛のパッチワークの路に寄り道。紫、黄、ピンク、白、オレンジ、赤、緑がパッチワークのように色とりどりに織り成す光景は写真で有名。この時期はヒマワリの黄色と麦の緑のコラボレーション程度でしたが、雰囲気は充分味わうことができました。

 夕暮れ前にフラノ寶亭留に到着。なだらかな斜面を利用した3階建ての建物は玄関が3階部分、フラットで自然を邪魔しない瀟洒な建物は、入館前から胸をときめかすものでした。全25室のこじんまりしたホテルにも関わらずスペースは充分。ロビー、レストラン、バー、多目的室などゆったりした滞在を約束する広さ。それぞれの客室もエントランスと寝室を隔てるお洒落な石張りの壁、ブラウン系でまとめたシックな寝室、ジャグジーつきのバスルームからは大きな窓を通して外の景色が眺められる。適度な大きさの客室には大人のテイストがぎっしり詰まっておりました。温泉、料理と堪能した一行は満天の星の下、深い眠りにつきました。

 翌朝もいい天気、氷点下の空気がピリリと気持ちを引きしめる。十勝連峰が雲を払い我々の前に顔を出しました。
 バスは山間の道路を岩見沢へ向かう。おりしも紅葉真っ盛り。緑の中に、黄色く赤く色づいた木々が朝日にあたって美しい。北海道は秋が短く紅葉の見ごろは一週間程度だという。私たちはついている。

箱根熱海、美の真髄を探る旅②

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ヒルトン小田原リゾート&スパ 
 今日のお泊りはヒルトン小田原リゾート&スパ。
雇用促進事業団が作った豪華施設が経営に行き詰まり、小田原市が買い取ってヒルトンホテルが運営している。もともとはみかん畑、相模湾眺望が最高のロケーションに12階建て本館、25メートルプールと各種スパが併設、なんとも豪華な施設に仕上がっています。寝室はすべてオーシャンビュー、初島、大島、三浦半島まで手に取るように見えます。

ユニット2から参加の人も加わり本日の夕食は海の幸優先の和食会席。お好みのお酒に舌鼓を打ちながら弾む会話を楽しみました。

 丸2日晴天に恵まれたためか、最終日の朝はやや曇り勝ち。でも本日の行程は殆ど屋内なので、今までの幸運をかみ締めつつ熱海のMOA美術館に向かいました。

MOA美術館
 MOA美術館は岡田茂吉氏が開設した世界救世教が母体。
日本の美術品が海外に散逸することを恐れた岡田氏が、自らのコレクションを熱海美術館として公開していたのを昭和57年に大々的に増設、堂々とした近代的美術館が出現したものです。約束の時刻には総務部の岡田範幸さんがお出迎え、岡田さんのご案内で30メートルにも及ぶ長大なエスカレーターで山頂の展示室までたどり着きました。

まずは能楽堂で展示品の説明。
5月15日からの特別展示「所蔵 近代日本美術の煌き」の主要出品物をDVDで解説。日本画の細部の描写、陶磁器の巧みな技巧、華麗な蒔絵など丁寧な説明に理解を一段と深めました。
そのあと一行は本館を出て日本庭園の一隅にある光琳屋敷へ向かいます。 

一般見学者は京都から移築した尾形光琳の屋敷を外側から見学するだけですが、岡田さんの計らいで一行17名は屋敷の内部まで案内されることになりました。
薄暗い邸内に目が慣れてくると、それぞれの部屋によって壁色、襖の模様、天井の造作がそれぞれ違います。これらは光琳の設計図に従って職人が作り上げた、いわば芸術品。国宝の紅白梅図屏風はこの家の2階の画室で描かれたそうな。
一部2階建ての大きなお屋敷、細部にまで拘った京風町家。これだけの家屋、更に6人もの妾を養い、59歳で早世した光琳は若い時からその天分を天下に認められていたのでしょう。
五畳半の茶室、三畳の茶室、居間、台所、奥様の間、化粧の間、一部屋づつ丁寧に案内され説明を受けました。

外に出て芝生の庭園を横切り茶苑へ。ここで立礼の抹茶接待を受け、各自展示場へ。
抹茶

とにかく広いのでこれぞと思う作品を重点的に鑑賞しないと時間が足りない。私自身は日本画に興味があるので、その他はささっと通りすぎるだけになってしまいました。

ヴィラデルソル
ヴィラデルソル
 圧倒的な伝統美術の余韻を残したまま、今回の旅行の最終目的地、昼食場所のヴィラデルソルに着きました。
紀州徳川家が東京の麻布飯倉に南葵文庫として建設した洋館を、高級旅館「蓬莱」が買い取り熱海に移築、ホテル・レストランとして活用している。

洋風の門を過ぎると、よく育った大木の間にひっそりとして建物がたたずむ。
クラシックな外観、玄関からロビーに入ると静寂なサロンにアンティークな家具。目の前はさえぎるもののない海。

新鮮な魚介類を生かしたフランス料理は味つけもやさしく、白ワインにピッタリ。旅の終りを締めくくるにふさわしく、とても豪華なひと時を提供してくれました。
食事の終わりごろには名物女将の古谷さんがご挨拶に現れ、イオニア様式の玄関前で女将を囲んで記念撮影をいたしました。

2泊3日、天候に恵まれ、美食に恵まれ、至玉の美術品に触れた贅沢な旅は熱海駅でお開きになりました。ここまでお付き合いいただきました参加者の皆様、お陰さまで楽しい時を共有することができました。皆様に心より感謝し、次の企画にも力を入れたいと存じます。

箱根熱海、美の真髄を探る旅①

投稿日 :

富士箱根伊豆国立公園、おへそにあたる箱根と熱海は観光地の定番として何度も訪れた方が多いに違いない。今回はありふれた観光地でありながら、懐の深さを探訪するスペシャルプランを設定しました。

 初日、小田原駅に集合した方々は中途半端な時刻ということもあって皆さん早めのご到着。
中には小田原城まで足を延ばして散策されたご夫妻もおられました。

 三日間晴れの天気予報を信じて箱根登山鉄道の大型バスに乗り込みました。

まずは景色抜群のターンパイクを経由して大観山へ。途中きらめく相模湾を眺めながら芦ノ湖絶景ポイントに着きました。富士山は薄ぼんやりと見えただけでしたが、芦ノ湖は一行を歓待するように穏やかな湖面を見せていました。

山のホテル
山のホテル
 ドライバーの樋口さんは山のホテルまでの道を遠回り、芦ノ湖越しにホテルを一望できる展望台に案内してくれました。駒ケ岳のふもと、芦ノ湖の対岸には赤い屋根、白い壁の山のホテルがはっきりと見え、驚いたのは対岸のこちらでも庭園の真っ赤なつつじが周囲の緑に浮かんでくっきり見えたことでした。これから訪れる庭園の散策に胸が躍ります。 

これは三菱の岩崎小弥太男爵の別荘であったものを、時代の変遷を経てホテルになり誰でもが利用できるようになったものです。
 
 3時過ぎ、ホテルの部屋で旅装を解いた一行は、むせ返るような満開のつつじ園で記念撮影。赤、白、ピンクのつつじが今を盛りと咲き誇り、体中がつつじ色に染まりそう。更に石楠花園も満開の迫力。この時期、行列ができるほど人気スポットの真っ只中に浸る幸せに身をゆだねました。

 夕食までのたっぷりした時間をそれぞれが箱根神社参拝や、3年前にできた温泉大浴場で有効に使いました。ホテル自慢の洋食とワインの懇親会を終えて、ライトアップした庭園を一回りした後、明日の晴天を祈り早めに眠りにつきました。
 
明けて2日目、カーテン越しの光が早く早くと急かします。つられてカーテンを明け富士山方向を見ると、明け方の空に富士がくっきり。朝日がまだ当たっていないので灰色の空に薄青色の山型が確認できます。
どうか午前中雲が出ませんように。
早起きの宿泊客が三々五々庭園散策をはじめています。私たちはまず朝の温泉に浸かり、最上階の展望台で湖、外輪山の全景を愛でた後、庭に出て思う存分つつじ越しの富士山を楽しみました。このころには霊峰も真っ白く輝き、つつじとのコントラストは息をのむほどの美しさでした。

 和食、洋食お好みで選べる朝食も、私たちは躊躇なくテラス席の洋食をチョイス。高原の朝の空気は少し冷たかったものの、芦ノ湖とつつじを眺めながら温かい料理を楽しみました。かたわらには雀もやってきて、パンくずをついばむ平和なひとときでした。
富士山

湿生花園
湿生花園
 昨日のドライバーさん、ガイドさんに迎えられ一行は仙石原の湿生花園へ。ベテランガイド堀井さんも驚くほどの好天気。数々の山野草の間を散策し、高原の空気を思いっきり吸いこみました。

 予定ではこのあと昼食場所のある強羅の花壇へ。ところがドライバーさんの思いつきで大涌谷を回る事にしました。
大涌谷といえば黒卵、ひとつ食べれば7年寿命が延びる。下車して硫黄泉で卵を温めているところまで往復する時間はないのに、何故遠回りを。この疑問はやがて解けることになりました。
大涌谷の駐車場を1周すると目の前に富士の雄姿が。山のホテルで見たてっぺんだけではなく、裾までくっきりの富士山にバス内は感嘆の声。
さすが箱根登山鉄道の運転手さん。絶景ポイントはしっかり把握しておられるのでした。

花壇・寄木会館
 定刻にバスは花壇に到着、ハーフチェンバーの由緒ある建物に胸躍らせながら入りました。
この建物は旧閑院の宮別邸、今では会席料理を楽しむことができます。伝統ある洋室で窓越しの若葉を楽しみながら会席弁当をいただきました。
廊下続きには高級旅館「強羅花壇」が連なり、次の機会には是非宿泊をと願った会員も多かったことでしょう。

 ここ強羅は古くから別荘地として開けたところ、個人や会社の別荘の他に箱根美術館や強羅公園など見どころも多い。
本日は昼食後の腹ごなしも兼ねて彫刻の森美術館へ。

広大な敷地内に点在する数々の彫刻、ピカソ館の美術品、足湯などそれぞれ楽しんだあと、バスは畑宿の寄木会館へ。

急なカーブをいくつも下って、ここ畑宿は箱根名物、寄木細工の工房が集まっている。
今日は簡単な寄木細工の手づくり体験。同じ材料ながら出来上がったコースターは千差万別。作り手の隠れた個性を垣間見ることになりました。
皆さん案外熱心に制作され、さすが集中力は抜群。コースターひとつだけでは使いにくいので、お土産にもうひとつキットをお持ち帰りいただきました。
寄木会館

 バスは箱根新道を下り、ユニット1でお帰りになる方々を小田原駅までお送り。駅前でお別れのご挨拶をしているところへヒョッコリ太田さんが出現。太田さんは今朝早く山のホテルを出立、東京での会議をこなしてとんぼ返りで戻ってこられたところに偶然の遭遇。これを奇跡と評する方もおられました。

新春懇談会講師

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1月に開催された新春懇談会で講師にお招きしたソムリエエキスパート島村典子さんが、立教大学観光学部に合格されました。ホテルの勉強をされるそうです。女性の歳を聞くことはタブーですが、ご本人によると卒業時は還暦になるそうです。
受験会場に入るときに係りの人から保護者は入場できませんと言われたとか。
私の友人で子育てを済ませてから52歳で聖路加看護大学入学、56歳で都立大学博士課程入学、58歳で介護看護に関する博士号を取得されたスーパーレディがいますが、島村さんも彼女に匹敵するほどのパワーです。
次は米国国務長官でも目指すのでしょうか。
新春懇談会の模様は会員専用ページをご覧下さい。

年賀状作成裏話

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会社や個人の年賀状を見ていただけましたか?

会社の年賀状はよく見ていただくと「謹賀新年」とか「あけましておめでとう」などの決まり文句がありません。
何故って、年賀状だから決まり文句は書かなくても解り切っていると思うからです。
それよりせっかく50円の通信費を使うのだから精一杯、会社のメッセージをお伝えしよう、との思惑からです。

会社では年賀状作成の時期になると、まず社長である私が来年お伝えしたいメッセージを発表します。
今回であれば「環境にやさしい会社」です。
20代から30代の数人の社員が集まり、社長のメッセージを表現するコピーをそれぞれが考えて持ち寄ります。
今回は30代前半の女性社員が作った「地球に誇れる会社でありたい」を採用。

このコピーをどのようにデザイン化するかを討議した結果、かけがえのない地球を温かく手のひらで包み込むという構図を決定。
  ↓
この絵コンテに従って写真撮影に入ります。
  ↓
今回は地球儀を包んだ手をパソコンでイメージ化して、暖かい雰囲気に仕上げました。

かたわらには事務所のエネルギー節約を意味する「OFFするOFFICE」と「エコする倉庫」のフレーズも掲げ、三信倉庫の文字も可愛らしいロゴに仕立て上げました。
これら一連のパソコン処理は倶楽部事務局の田中さんの労作です。
会社年賀状

個人の年賀状は会社のとは打って変わって、手書きの似顔絵。
結婚以来40年近く続けています。毎年書き換えてますが、同じ構図なので怠けていつも同じ絵柄を使っているのだとかんぐる方もおります。

年賀状は久しく会わない方にもお出しします。街で久しぶりにお目にかかると、先方は私の顔を年賀状で覚えている。
こちらは久しぶりに会ったのでどなたかとっさに思いだせない、ということもあります。

私が書いた原画をプリントゴッコで仕上げるのですが、最近パソコンが台頭してプリントゴッコの消耗品が手に入りにくくなってきたのが悩みです。
社長年賀状